阿部千春さんリサイタル

 

メールインタビュー

やっと秋らしくなってきた東京です。まだリビングは暑くて冷房かけています。冷房も暖房も使わない日って、一年に何日くらいなんでしょうね。我が家は10月まで夏認定しています。

さて、もう少しで阿部千春さんのリサイタル。楽しみです!!きっとその頃には、暑くもなく寒くもなく、台風もなく、お出かけ日よりかと思います。是非お出かけください。

今回は、教室の生徒さんたちも、チケットを買っているので、前もって色々知っておくと楽しみが倍増するかと思い、演奏者ご本人にメールにてインタビューを致しました!(すごいでしょ?先生の行動力をみんな褒めて)ドキドキしながらお願いしたら、快く引き受けて下さいました。阿部千春さんありがとうございました。

以前、生徒さんたちと一緒に行って、「いっぱい装飾とか即興とか入っててきれいだったね。一回目と2回目と全然違ってたね」ってレッスンのときに話していたら「え?リピートしてたんですか?(キョトン)」ってことがあり、そうか・・・もっと前もって色々教えてあげておけば・・。と思った次第です。

このインタビューは「バロック入門者」の弊教室生徒にレベルを合わせていただいて、基本的なことを教えていただきました。是非、お出かけ前にこのブログを読んで、楽しさ倍増させて下さいね。

 

 

質問1)今回演奏していただく、バロックヴァイオリンは、ふだん教室のレッスンで生徒たちがつかっているヴァイオリンとはどういう点がちがっていますか?見てわかる点、音色などを教えて下さい。

楽器に張ってある弦の材質がまず違います。ヨーロッパ生まれのヴァイオリンには当時羊の腸を強く捻ったガット弦が使われていました。羊はヨーロッパにおいて重要な家畜です。テニスのラケットに張ってあるものもガットですし、ソーセージの皮もそうです。自家製ソーセージ用に売っている羊の腸を買ってきてガット弦を作っている人もいるくらいです。身近にある材料を使っていたわけです。

楽器本体は変わらないのですが、ネックのつき方が違います。現在使われているヴァイオリンは楽器を横から見るとネックが後ろへ傾斜させてつけてあるのがわかります。18世紀半ばから社会構造が変化し王侯貴族や聖職者以外の一般の人も公開音楽会という形で音楽を楽しむことができるようになってきて、演奏の場も小さな空間のみでなくコンサートホールのような大きな空間を使うことが増えました。この傾斜によって弦の張力が強くなり音が鋭くなるのでそのようなホールでも華やかに聞こえるようになります。それ以前の楽器、バロック期のヴァイオリンのネックは傾斜無しについており、楽器にかかる張力が少なく倍音が多く乗り表情豊かな音色になります。傾斜は指板の厚さで調節してあります。

 

また、楽器の中に縦についているバスバーの大きさ、長さも、バロック時代はもっと小さめで短めでした。現在の楽器と比べて本体にかかる圧力が少なかったので、支えとなるバスバーも小さめで良かったのです。駒もスタイルが今と違います。あと、何と言っても弓のモデルが違います。バロックボウは今の弓より短くて軽く、ソリも弓矢の弓のようになっています。

 

このガット弦とバロックボウの組み合わせは、金属弦とモダンボウの組み合わせに比べて芯があり倍音が多く聞こえる響きになり、アーティキュレーションがはっきりするという特色があります。同じ音楽を演奏しても、バロックヴァイオリンではおしゃべりをしているかのようなアーティキュレーションが楽にできます。

質問2)今回は作曲家テレマンの曲を演奏してくださいますが、どんな作曲家ですか?なにかおもしろいエピソードがあったら教えて下さい。
生徒たちもよく知っているバロック時代の有名な作曲家、バッハとなにか関わりがあったら教えて下さい。

テレマンはヨハン・ゼバスティアン・バッハよりも4歳年上、1681年に生まれました。4歳の時に父親が亡くなり、母親に育てられます。音楽に興味を示し独学でいくつかの楽器を習得します。当時音楽家の社会的地位は低かったので、母親は彼が「まともな」職につけるよう法律を勉強させるべくライプツィヒに送り込みますが、そこでテレマンはすっかり音楽三昧の生活を送ることになります。12歳でオペラを作りまた各種楽器を独学でマスターしている彼を周りが放っておくはずもなく、ライプツィヒにおいて市の音楽監督になります。

またのちにバッハが引き継ぐことにもなるコレギウム・ムジクム(学生40人からなる半アマチュア団体で、定期的に演奏会を提供していた)をカフェ・ツィンマーマンにおいて結成します。のちにヨハン・ゼバスティアン・バッハがライプツィヒで働き始めた時、バッハはこのコレギウム・ムジクムを継承し様々な室内楽曲を作曲しました。

テレマンは1708年からアイゼナハで音楽監督をしていましたが、アイゼナハから近いヴァイマールで宮廷音楽家として活躍していたヨハン・ゼバスティアン・バッハと知り合い、生涯の友となります。お互いの作品に敬意を持ち情報交換をし、バッハの息子の一人、カール・フィリップ・エマヌエルが生まれた際テレマンは代父(キリスト教においての後見人のような制度です)となり面倒を見ます。

テレマンは1721年(40歳)から亡くなる1767年(86歳)まで、ハンブルクで市の音楽監督として、また劇場の音楽監督、作曲家として活躍します。ヨーロッパの最新流行のスタイルを常に取り入れ、一般にもわかりやすい曲を作り、人気絶大でした。反面、伝統にのっとった複雑な作曲が多かったバッハは一般からは評価が低かったのですが、テレマンは世間の評価はお構い無しに生涯バッハを尊敬し続け友達として付き合っていたようです。

無伴奏ヴァイオリンのための12曲のファンタジアは1735年に作曲されています。テレマンがハンブルクで活躍していた時代のもので、彼がそれまでに勉強してきたイタリア風、フランス風の音楽、そしてポーランドで仕事をしていたころに発見したポーランドのワイルドな民族音楽・舞踊をうまく取り入れて、ヴァイオリン一丁でもとても色彩豊かな内容となっています。

このテレマンという人はとんでもなく多作家で、全てが残っているわけではないのですがおそらく4000曲は作ったのだろうと言われています。また趣味の園芸に凝って外国から珍しい植物を取り寄せ庭に植えたりしていました。その庭を再現したものが彼の生まれ故郷、ドイツ・マグデブルクにあります。

 

質問3)ファンタジアというタイトルがついていますが、どういう曲に「ファンタジア」とつけるのでしょうか?
もともと鍵盤楽器によく使われた形式です。18世紀に入って伴奏なしの器楽曲として使われるようにもなりました。規則や形にとらわれない、自由でまた即興的な形式だと、テレマンの友達で当時音楽家・学者として有名だったマテゾンが書き残しています。楽譜に書いてあっても、思いつきで弾いているような枠にはまらず自由な奏法がファンタジアの演奏であったようです。
質問4)バロック時代の演奏は、よく即興がつくと聞いたことがありますが、今回の演奏にも入っていますか?
即興的なパッセージもテレマンによっていくつか入っていますが、それに加えてちょっとした装飾音や型にはまらない自由なフレーズ、間の取り方、簡単な即興なども今回の演奏では当時の様式に従って取り入れます。
質問5)最後にバロック・ヴァイオリンを演奏していて、楽しいところはどんなところですか?
よくおしゃべりをする楽器ですので、方法さえわかれば自分の感じていることを直接喋らせることができます。また演奏を通して当時の人たちの声が聞こえてきますので、古い音楽なのに昔の人たちと音楽という言葉を通して会話しているかのようで、世界が生き生きと見えてきます。

チケット取り扱い中

楽しいお話をたくさんありがとうございました。バッハと仲良しだったとか、趣味は園芸だったとか・・・。なんだか、テレマンが身近に感じますね。きっと教室の玄関を見たら、もうちょっとこのあたりにこういう花壇を作ってとか・・とかテレマンがアレンジしてくれそうです。テレマンの庭を観に、是非ドイツ旅行にもでかけたくなってきました!

今度全曲聴けるファンタジアは、テレマンが勉強したことが全部寄植えみたいに聴けるお得な一日です。チケット、少しご用意できます。

チケット予約連絡先:yurikaviolin@kvj.biglobe.ne.jp  辻有里香宛です。

 

 

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