音楽が好きになる過程を考えてみた〜音楽学校編〜
さあ、いよいよ最終回です。って、そんな引っ張るほどの内容じゃないですが。書きながら思ったんですが、もう私の小さい頃と時代が違いますよね。しかもここは東京。田舎で音楽を勉強するのとは、わけが違います。ありあまるほどの文化と教育。素晴らしい環境だと思います。もしかしたらもたくさん機会が多すぎて、子どもたちは食傷気味かもしれません。そういう意味で、好きになるのはやさしくもあり、難しくもあるのかな。
さあ4年間、意気揚々と始まりました。今まで井の中の蛙で、競争するということに慣れていなかったので、毎日気持ちを立て直すのがとてもつらかったです。本当に音楽好きだったのかな?と何度も自分に問いかけたように思います。自分よりこんなに上手な人がたくさんいて、なぜ自分がバイオリンを弾く意味があるのかというのが、当時の私の人生のテーマでした。
器用な同級生たちは、私からしたら遊んでるように見えて、明らかに練習量は私より少なくても、試験ではサラッと上手に弾いてしまいます。そりゃそうですよね。今までの積み重ねが違うんです。才能も違います。持ってる楽器も違います。生まれながらに人間は平等ではないんだなあということもよく考えました。
音楽学校に行くと、音楽が嫌いになるという話は時々聞きますが、たぶん今まで自分が一番うまいという境遇から一転して、弾いてて何になるんだろう?という疑問からかもしれません。
でも、ある日練習しててふと答えが降ってきたんです。弾いてることで、音楽と出会えるんだから楽しい。楽しいからバイオリンを弾く。それ以外に理由は要らないんじゃないか。世の中にとって、私のバイオリンは全く役に立たないけど、そういう人間がいてもいいんじゃないかな。このまま、好きって気持ちだけを支えにがんばろうと。「できるから楽しい」しか、音楽を続けている理由がなかったら、きっと卒業したら音楽やめてたかもしれません。
そして東京に出てきて、本物の演奏をたくさん聴けたことは、本当に大きかったです。ベルリン・フィルとか、まだお元気だったアイザック・スターンとか、若かったパールマンとか、アーロン・ローザンドとか。ラジオやCDでしか知らなかったのに、本物の「音」が聴けたことで、音楽がますます好きになりました。学生でいつもお金なかったのに、どうやって行ってたんでしょうね。演奏会にはお金使いました。
さて、卒業しても「音楽が好き」という気持は変わりません。私より上手な先生は、5万といますけど、私に共感して集まってくれる生徒たちに日々感謝して、楽しくレッスンしています。楽しいとか、好きとかそんな軽い気持ちだったから、それくらいしか上手くならなかったのだろうと言われればそれまでですが、たぶん、音楽を続けるのって自分で気持ちを何度も何度も立て直して、続けていくものだと思います。アマチュアでも音楽でお金を頂いていても。生徒たちも、どんなに仕事や学業が大変でも「続けて」頑張っているのをみるとうれしいです。 件の生徒ちゃんが、あの時レッスンを途絶えないで続けていれば・・といっていましたが、そんなことないですよ。まだまだ若いし、いくらでもこれから上手になるよって思います。
苦しみながら練習してこそ上手になるという考え方から、「ピアノランド」「バイオリンランド」のような、「楽しく音楽を」とか、最近はアレキサンダーテクニックのバジル先生のような若い先生が、音楽教育のパラダイム転換をはかってくださっていて、時代も変わってきたんだなと実感しています。
「楽しく」と「本気で」ということが、共存できると私も信じています。そのためにも、無駄な努力をなるべくさせないように、もっともっと質のいいレッスンをしたいと思います。「本気で」音楽に向かい合うから、美しい音楽に出会えるんであって、音並べてただけじゃ、どこまでいっても、美しい音楽には出会えません。来年も、生徒さんにとって、そしてバイオリンを愛する人たちにとって、美しい音楽にたくさん出会える、いい一年でありますように。