「バッハ・古楽・チェロ」〜アンナービルスマは語る〜

ビルスマ

 

 

時々ツイッターでもつぶやいていましたが、この本読了しました。いやあ、面白かったです。ビルスマ先生の明るいお人柄がにじみ出ている素晴らしいインタビューでした。聞いてる方も、渡辺順生さんで、一緒に演奏活動をしていた方なので、とてもいい話がどんどん引き出されています。

アンナービルスマさんは、オランダのチェロ奏者で、コンセルトヘボウの首席チェロ奏者を経て、レオンハルトやブリュッヘンなどと古楽器演奏の先駆者として活躍された方です。

音楽教室のブログなので、是非生徒さんにもここは読んでほしいなとか、教育に関係あるところを取り出してみたいと思います。ブログ記事が長くならないように気をつけます!

1、「レッスンとはどのようなものとお考えですか?」

「レッスンに特効薬はないんだ。学生を見ていて、「ここと、ここと、ここをこう直すとよくなるよ。じゃあまた来週」という感じで、学生の良い部分をちょっとずつ伸ばしてゆくしかない。そして、レッスンは、あまり長くないほうが良い。

p.62  引用

 

2.「語る」演奏と「歌う」演奏について

演奏家が明確なヴィジョンをもって演奏すれば、それは良い演奏になる。古楽器かモダン楽器かという問題ではない。

ラジオから流れるピアノの演奏にイライラしたことがある。重要な音もそうでない音も、ぜんぶ一緒に塗りつぶすように一様に弾いているからだ。

モダンの奏者は、楽譜にあるすべての音符を気にかけてしまうんだ。モダンの奏者たちは、すべてを「歌う」ように演奏する。確かにそれは時として、〜素晴らしいこともある。しかし、音楽には、推移部もあるじゃないか。そうした推移部も、過度に重要に演奏するのはいいとは思えないんだ。だって、「トイレに行っていいですか?」っていうのに、わざわざ大きな声で歌って言う人はいないだろう?

p.114引用

こういうところで、思わず一人でニヤニヤ笑っちゃうんですよね。

そのあと、「語る」ということについて、このように答えていらっしゃいます。

3 音楽が「物語」であれば、演奏は物語を「語る」ことになりますか?

ヨシオ、そのとおりだ! 音楽は、ある意味で「言葉」なんだ。「語る」音楽とは、レトリックの技術のことを意味している。修辞学のテクニックが音楽に適用されている例は、「おお主よ」や「我を憐れみたまえ」といった天に向かって呼びかけるフレーズに見られるね。また、「待て待て」と言った言葉を繰り返す場合や、応答や対話を表す対位法などもそうだし、議論や葛藤では大きな音や不協和音が使われた後、それが解決するときに穏やかな音や協和音が使用されると行った、和製の動きの反映されることもある。

良い音楽はみな「言葉」になっている。〜バッハの無伴奏チェロ組曲は「語る」音楽として演奏すべきなんだ。 p,115 引用

このあとに、注意があって、語る内容は音楽の「物語」であって、「自分のこと」を語ってはいけないとしています。演奏家が自分の中で抱えている悩みを語ったり、今までの人生を語ったりしてはいけない。教会の牧師が会衆を見回すような感覚が必用。牧師がそういう会衆を幸せにしたい。なぜなら愛しているから。音楽も「愛」のためにあるんだ。昨今の音楽家たちは自分の悩みとか、自分の人生とか「自分のこと」ばかりを語っていて退屈だ。 という話で締めくくられています。

わあ、耳が痛いですね。まだまだ続くのですが、この先はどうぞ自分で読んで下さいね。おもしろそうでしょう?演奏の中に、こんなに頑張った自分とか、練習いっぱいした自分とか、語られてたらダメなんですね。音楽のストーリーを淡々と語れというところに、深く首肯しました。

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