第一回ウィーン修学旅行 アイゼンシュタットへ
アイゼンシュタットと言えば、ハイドンですね。生涯の大半を過ごしたエスターハージー家のお城です。ここに宮廷楽長さんとして、ほぼ毎日通ってきてたんでしょうね。忙しかったんじゃないでしょうか。現在はブルゲンラント州の州都となっています。1732年生まれのフランツ・ヨーゼフ・ハイドンですが、うまれはハンガリー国境近く、ニーダーエスターライヒ州(当時は下オーストリア大公国)ローラウ村に生まれました。その後ウィーンでシュテファン大聖堂の聖歌隊に弟と属していましたが、変声期がきて解雇されるんですよね。どこかで読んだ偉人伝で、たしかそのくだりがあった気がします・・・。10年間はフリーで活動、その後このエステルハージーの副楽長にめでたく就職がきまります。
さてさて、ここからはツイッタでお知り合いになった、はっぱさんの登場です!有名ブロガーさんなので、ご存じの方も多いと思いますが、リアルで会えたのはきっとそんなに居ないと思うので、ちょっと自慢したいと思います。しかも、一泊二日ガイドさんとして一緒に付き添ってくださいました。すごい忙しい時期なのに、本当にありがとうございました。これは日本からの添乗員さんが、是非一緒にアイゼンシュタットまで来て〜ってことで、お願いしてくださったらしいです。ここがはっぱさんとご一緒できたので、楽しさが倍増しました。
なんと、日本人観光客が初じゃないかというところも、見せていただきました。私が世界史を習ってた高校生の時には、まだ起きてないできごとなので、全く知らなかったのですが、ヨーロッパピクニックって皆さんご存知ですか? 詳しくはwikiでどうぞ。その現場まで連れて行っていただきました。
今はこういう記念碑が建てられていて、パスポートも見せなくていいし、国境警備隊が昔いた塔も無人です。右上の写真は、ハンガリーに入ってオーストリア側の写真を撮っているところですが、下の三色のハンガリーの印が見えます。この時に、みんなでピクニック=政治集会して、その時に集まった1000人位の東側の人が亡命したそうです。後のベルリンの壁崩壊へとつながる、大事な一歩となったとか。
音楽でもハンガリー舞曲なんてありますが、こんなに近いんですね!そりゃ音楽にも影響がありますよね。行ってみると、とても実感が湧きました。エステルハージの貴族のお嬢様は、ハンガリーへ馬買いに行ってたそうですし。
こういうところは、やはり団体旅行じゃないと行けないです。今回つくづく思ったのですが、やはり現地ガイドさん大事です。今じゃ自分でネットで何でも手配できますが、二人だけの個人旅行だったら知らずに終わってしまったこともたくさん勉強できました。生徒たちも、はっぱさんがどれだけ毎日努力して勉強しているかよく分かると言ってて、そういうところに思いを馳せる生徒にも、さすがと思いました。オーストリアでガイドをするには、学校に行って試験を受けなければいけないそうです。資格がないのに、町中で旅行者に向けて話をすると、違法ということで国外退去とかにもなりかねないそうです。
夫は今まで団体旅行が大嫌いだったそうで、初海外旅行のインドと夫の母と3人で行ったバリ以外は全部個人旅行です。おみやげ屋さんに行きたくないのに連れて行かれるのが嫌だそうです。でも、今回は二人だと交通の便などを考えると絶対に行けなかったので、団体旅行もいいなあと思ったみたいです。
オーストリア修学旅行という名前でしたが、そういうわけで第一回オーストリア・ハンガリー修学旅行ということになりました。
長くなってきたので、とりあえず一区切り。